屈原から学ぶ | Learn from Kutsugen
皆さんは屈原という名前を聞いたことがありますか。
歴史に疎い私は最近知りました...
(こどもの日の由来を調べていたら
辿り着いたのがこの人でした。)
今日は私が彼から学んだことを
少しだけシェアしたいと思います。
粽を食べる由来となった伝説
こどもの日(5月5日)にちまきが食べられるようになった理由を知りたくてウィキペディアで粽(ちまき)について調べたところ、中国の故事が元になっていることがわかりました。
中国の伝説では、楚の愛国者だった政治家で詩人の屈原が、汨羅江(べきらこう)で5月5日に入水自殺した。民衆はこれを悼んで、毎年の5月5日には、供物を汨羅の淵に投げ入れて供養をした。しかし、供物は悪い竜に食べられてしまう。それで供物を竜が苦手だという楝樹の葉でくるみ、魔除けの五色の糸で縛って、川に投げ入れたのが起源とされる。このため、中国などで5月5日の端午の節句に食べる習慣がある。
もともと粽は屈原を供養するためのものだったのですねー!
それにしても入水自殺って...
何だか壮絶な人生を送られたようですね。気になったので屈原についてもう少し調べてみました。
屈原はどんな人だったか?
屈原は中国戦国時代の楚の政治家、詩人。...秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。春秋戦国時代を代表する詩人としても有名である。
詩人。政治家だったようです。
しかも、かなり能力のある政治家だったようですね。
ウィキペディアによると↓
当時の楚は、西の秦といかに向き合っていくかが主要な外交問題であった。...当時の楚では屈原の政治能力は群を抜いていたが非常に剛直な性格のために同僚から嫉妬されて讒言を受け、王の傍から遠ざけられると同時に国内世論は親秦派に傾いた。
有能さを嫉妬されて、信用されずに、左遷、監禁、そしてゆくゆくは自殺に追い込まれたようで悲しい最期だったようです。
いつの時代も嫉妬や誹謗中傷があるのですね(・・;)
英語版ウィキペディアの粽で調べると
屈原は流刑を処せられ、精神を病み、鬱になったとも書かれていました。
想像だけですが、
この時代は
「出る杭は打たれる」というような環境だったのでしょうか。
政治に絡んでいる方々が
自殺に追い込まれる、
または
自殺に見せかけられる、
ということがいまでもあるように思います。
正しいことを正しいと訴え、
命を捧げてまで
それを貫き通した屈原の生き方に
私は圧倒されました。
私がもしこの時代に生きていて
生きるか死ぬかくらいの
差し迫った選択を
しなければならないとしたら...と
想像するだけでも
しばらく眠れなくなりそうです。
屈原から学んだこと
正しいことを正しいと
声に出して伝えることの大切さ
正義を貫く強さと勇気を持つことの大切さ
を学びました。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
たまご