受け止める
たまごです。
いつもお読みいただきありがとうございます😊
散歩に出かけて
鳥のさえずりを聴くとき
木々のささやきを聴くとき
心が穏やかなときには
勇気と力を、
心許(もと)ないときには
癒しと慰めを得られます。
心の奥深くに安心感を得られます。
私は自然が大好きです😊
いつものように散歩に出かけたある日、
遠くに松の木が見えました。
その色が変わり始めた松の葉と、ひらりと舞う落ち葉を見て、秋を感じました。
なぜだかとても興味をそそられたので、その木に近寄って、ゆっくりと見上げてみることにしました。
それは
とても大きな松の木でした。
とても立派な松の木でした。
でも
よく見ると
全ての枝に葉が生い茂っているわけではないことが分かりました。
それは私にとって意外でした。
枝の先は、
まるで日向ぼっこでもしているかのように、とても気持ち良さそうに、
葉をどんどん日の光の指す方向へ伸ばしていました。
枝の根元はというと、
ほとんど葉が生えていないばかりか、枯れそうにも見えました。
なんとか大木にしがみついているかのような、葉のほとんどない枝の根元を見たとき
はっとさせられる光景を目にしました。
その
ほとんど葉のない、
枯れそうに見えた、
枝の根元が
隣りの木の落ち葉をしっかりと受け止めていたのでした。
それはまるで
葉っぱたちが落ちていくのを、
最後の最後まで見届けているかのように見えました。
この様子を見てから何日か、その松の木についてしばらく考えていました。
葉が落ちるのは
「当たり前のことに思える」秋の光景。
でもその松の木の枝を見て、
「当たり前のことに思える」出来事にも意味があるのかもしれないと思い始めました。
この
松の木と落ち葉の様子から
物事に適した時期を待つことと、
本来の役割を認識すること
の大切さを学んだ気がしました。
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この枝の根元は、
落ち葉を落ちるままにして
何もせずにいることも出来たはず。
でも
この枝の根元は、
ほとんど葉がないにも関わらず細い枝と枝を絡み合わせて
支えられるだけの力を
一枚の落ち葉のために注いだ。
そしてそれを受け止めた。
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その事実が私に
私の中の
「こうあるべき」
「こうでなくちゃ」
を根底から変えるように
訴えているようにも感じました。
若い枝も、年を重ねた枝も
日向の枝も、日陰の枝も
まだ大木と枝に
繋がっている葉たちも
落ちる時期を迎え、
巣立つ備えの出来た葉たちも
その役割を受け止めているのかもしれないと思いました。
そして
その全てが合わさって
立派な大木となり
通りすがりの私にまで
勇気や慰めを分けてくれているんだ!
と思いました。
皆さんは
「当たり前のことに思える」光景や出来事から、はっとさせられた経験はありますか。
今日も素敵な一日をお過ごしください。
たまご