Tamago Studio Japan

絵本作家/イラストレーター。英語/日本語コーチ。化学物質過敏症のため自分のペースで作品作りをしています。家庭菜園、自然散策、ものづくりが好き。健康、食、教育、文学、詩、語学、家族の日常などの様々なことについて綴りながら、丁寧に生きることを心がけています。

受け止める

たまごです。

いつもお読みいただきありがとうございます😊

 

 

散歩に出かけて

 

鳥のさえずりを聴くとき

木々のささやきを聴くとき

 

心が穏やかなときには

勇気と力を、

 

心許(もと)ないときには

癒しと慰めを得られます。

 

心の奥深くに安心感を得られます。

 

私は自然が大好きです😊

 

いつものように散歩に出かけたある日、

遠くに松の木が見えました。

 

その色が変わり始めた松の葉と、ひらりと舞う落ち葉を見て、秋を感じました。

 

 

なぜだかとても興味をそそられたので、その木に近寄って、ゆっくりと見上げてみることにしました。

 

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それは

とても大きな松の木でした。

とても立派な松の木でした。

 

でも

よく見ると

 

全ての枝に葉が生い茂っているわけではないことが分かりました。

 

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それは私にとって意外でした。

 

枝の先は、

まるで日向ぼっこでもしているかのように、とても気持ち良さそうに、

 

葉をどんどん日の光の指す方向へ伸ばしていました。

 

枝の根元はというと、

ほとんど葉が生えていないばかりか、枯れそうにも見えました。

 

なんとか大木にしがみついているかのような、葉のほとんどない枝の根元を見たとき

 

はっとさせられる光景を目にしました。

 

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その

ほとんど葉のない、

枯れそうに見えた、

枝の根元

 

隣りの木の落ち葉をしっかりと受け止めていたのでした。

 

それはまるで

葉っぱたちが落ちていくのを、

最後の最後まで見届けているかのように見えました。

 

 

この様子を見てから何日か、その松の木についてしばらく考えていました。

 

 

葉が落ちるのは

当たり前のことに思える」秋の光景。

 

でもその松の木の枝を見て、

当たり前のことに思える」出来事にも意味があるのかもしれないと思い始めました。

 

この

の木と落ち葉の様子から

物事に適した時期を待つことと、

本来の役割を認識すること

の大切さを学んだ気がしました。

 

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この枝の根元は、

落ち葉を落ちるままにして

何もせずにいることも出来たはず。

 

でも

 

この枝の根元は、

ほとんど葉がないにも関わらず細い枝と枝を絡み合わせて

 

支えられるだけの力を

一枚の落ち葉のために注いだ。

そしてそれを受け止めた。

 

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その事実が私に

 

私の中の

「こうあるべき」

「こうでなくちゃ」

 

を根底から変えるように

訴えているようにも感じました。

 

 

 

若い枝も、年を重ねた枝も

 

日向の枝も、日陰の枝も

 

まだ大木と枝に

繋がっている葉たちも

 

落ちる時期を迎え、

巣立つ備えの出来た葉たちも

 

 

その役割を受け止めているのかもしれないと思いました。

 

 

 

そして

その全てが合わさって

立派な大木となり

 

通りすがりの私にまで

勇気や慰めを分けてくれているんだ!

 

と思いました。

 

 

 

皆さんは

「当たり前のことに思える」光景や出来事から、はっとさせられた経験はありますか。

 

 

今日も素敵な一日をお過ごしください。

たまご

 

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