見えないものに目を向け、聞こえないものに耳を澄ます
いつもお読みいただきありがとうございます!
たまごです。
先日、FaceTimeで姪と話していたときのこと。
姪は彼女のお気に入り(だと思います)のお箸を、私に見せたい一心でカメラの前でお箸を上手に持っていました。
満面の笑みを浮かべながら😊
私もその様子を見ていて、とても幸せな気持ちになりました。
彼女が大切にしているもの、
彼女が大好きなものを
「見せたい!」
という「その気持ち」が
とても嬉しかったのです。
彼女としばらく話していたら
お箸を「見せたい!」の先に
もっと具体的な望みがあることが分かってきました。
それは
お箸に描かれた
「ニワトリとたまごとプリン」を
みて欲しいという望みでした。
理由は聞きませんでしたが、それは私が「たまご」だと知っていたからでしょうか。
彼女はカメラのとても近くに箸を寄せて見せようとしてくれたので、始めはその描かれたものの全体像が私にはよく分かりませんでした。
それに加えて、電波状況が悪くなって、時々声が途切れてしまいました。
それでも私は、彼女の見せたいものが何か、聞かせたい言葉が何か、予想することが出来ました。
それは私が
「見えない部分」や
「聞こえない部分」を補うために
彼女が熱心に、諦めないで
あらゆるヒントを出してくれたからでした。
最終的には、彼女は可愛いニワトリとたまごとプリンの絵を見せる方法を自分で見つけ出し、私が全部見られるようにカメラから少し離れるという工夫をしてくれて、さらに、電波状況が改善されて、何も問題がなかったかのようにその後も楽しく会話を続けることが出来ました。
私はこの経験からあることを学んだように思いました。
それは
今は物事の全体像が見えていなくても
知りたい情報が全て耳に入って来なくても
苛立ちや怒りや不安を抱く必要はないかもしれない
ということでした。
コロナの影響に伴い
容易に
様々な混乱と不安定な状態に
身を任せてしまいそうになるのですが
姪の優しさ、微笑み、
そして諦めない熱心さから
大切なことはもっと違うところにあるのかもしれないと気づきました。
今日も素敵な一日をお過ごしください😊
たまご
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このタイトル、実は今年の5月21日に下書きをしていました。でも、内容を全く書いていませんでした😅
あれから数ヶ月経った今、「あの時ならどんなブログを書いていただろう?」と思いながら、その同じタイトルを使って「今感じていること」をシェアしたいと思いました。