当然?当前?当たり前?
いつもお読みいただきありがとうございます😊
たまごです。
ふと見上げた
美しい青空の大きな雲が、
ふと目をやった
足元の色とりどりの落ち葉が、
私の心の奥深くに
「秋」を運んでくれました。
そしてふと
こんなことを思ったのでした。
たいていの場合
空は、青く見える。
緑でも黄色でもない。
一年中、真っ赤な空でもない。
葉は、落ち葉というのだから
下に落ちる。
おそらく、葉が重力に反して
空高く舞い上がって消えることはない。
これは
私の中で当然だと思っていること。
突然ですが、みなさんは
豆富にジャムをつけて食べたことがありますか。
私は食べたことがないのですが
ある地域では流行っているようです。
豆富+ジャム
という発想は私の中の「日本文化・風習」の概念にはない、新しい発想でした😃
それが
私の中の「当然」とは違うので
その発想についてしばらく思い巡らしていました。
そして
文化・風習、育つ環境や背景、そして言語はそれぞれどこかで繋がりがあるのでは?と思いました。
私は言語を学ぶことが好き*です。
(*好き=専門家ではないので趣味程度です♡)
母国語である日本語の他に英語、
少しの韓国語とスペイン語、
ほんの少しのタガログ語、トンガ語、
日本語と英語の手話を学んできました。
最近はフランス語を学んでいます。
(なぜフランス語かというと…それはまた機会があればお話しますね。)
私の母国語である日本語に焦点を当ててみたとき
とても自然に
そして無意識に
何気なく話している言葉が
何気なく書いている文字が
あると思いました。
その一つひとつを思い、
時々立ち止まって
深く掘り下げて
さらによく理解できたとき
私は嬉しくなります。
その言葉や文字に込められた想いから、様々なことを知ることが出来ます。
私が「当然」だと思う
言葉の使い方や漢字の書き方でも
日本語を学ぶ幼児や外国の方々から
突拍子もない質問を受けるとき
私も一緒に立ち止まって考えます。
「当然」といえば
先日このような記事を見つけました。
http://www.yano.bc.ca/vansin/vansinpo187.html
昔、中国から「当然」という漢字言葉が入ってきた。これは「当(まさ)に然(しか)るべし」ということで 「当然」である。
でもこの「然」という漢字は当時の日本人にもなかなかなじめず、江戸時代ごろに、誰かが「前」という漢字を使って「当前」という当て字を書き、この当て字がかなり広まったようである。読み方はもちろん音読みの「とうぜん」である。
そしてしばらくして、今度は誰かがこの「当前」を訓読み(日本式)と
して「当たり前」と読んだようである。
そしてこれが広まり、「当たり前」という和語ができたとのこと。
ちなみに「当前」で調べると
このような記事も見つけました。
当前の旧字は當前。
そして
当前の読み方は
あたりまえ
あたりめえ
あたりまへ
とうぜん
こんなに沢山あったのだと知りました。
皆さんはどの読み方をよく使いますか。
中国から日本へ伝わった言葉が
ここまで変化した経緯を踏まえて
この「当然」について考えると
今まで私が「当然」と思ってきた物事に対する考え方を少しずつ変える必要があるかもしれない
と思い始めました。
漢字の使い方も読み方も様々なように
人によって
当然、当前、当たり前は
違うのかもしれない。
それを押し付けず
尊重し合えたら…
と思う今日この頃です。
今日も素敵な一日をお過ごしください。
たまご